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船橋市と市川市の境に位置する元気な街作りに活動する、船橋市本中山6・7丁目町会
○○○○○○○○○○○○○○○ビルダー会
高石神社縁起
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当地に、鎮守高石神社が建立された年代は不詳だが、古書や古老の話などによると、その昔、当地周辺の広大な土地は、海辺の荒野で、下総の国葛飾郡栗原郷の一部といわれていた。
江戸時代初期の頃、高石神(現在市川市)の第1の旧家であった石井兵庫が、この地の開墾に手を初め、その後次第に農家(住民)が増加し、集落となり、地名を「兵庫新田」と称した。時代の変遷に伴い、栗原郷から葛飾村等を経て、昭和41年船橋市の住居表示により、本中山5、6,7丁目となった。
さて、集落が出来、村民の誰からともなく、当地に鎮守祭祀の話がでて、開墾者である石井兵庫の氏神「高石神社」の分社として、現在地に社殿を建立、神功皇后を祭神として祀り、村民の心の拠り所となった。
また、祭神が女性なので安産の神としても知られ、子女出産の後、必ず参詣して子の成長を祈願したものであり、収穫の秋には村民こぞって賑やかに祭礼が行われてきた。
毎年、10月の第3土曜日、日曜日には高石神社のお祭りが行われます。また2年前からは、高石神社の祭礼と町民が一緒になって楽しめるように、「本中山六七丁目秋祭り」として町内の一部の道路を通行止めにし歩行者天国として、いろいろな催しを実施、出店、フリーマーケット等を行っています。
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2014年4月20日
高石神社ホームページリニューアル
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本中山6・7丁目町会
江戸時代初期の頃、高石神(現在市川市)の第1の旧家であった石井兵庫が、この地の開墾に手を初め、その後次第に農家(住民)が増加し、集落となり、地名を「兵庫新田」と称した。時代の変遷に伴い、栗原郷から葛飾村等を経て、昭和41年船橋市の住居表示により、本中山5、6,7丁目となった。
さて、集落が出来、村民の誰からともなく、当地に鎮守祭祀の話がでて、開墾者である石井兵庫の氏神「高石神社」の分社として、現在地に社殿を建立、神功皇后を祭神として祀り、村民の心の拠り所となった。
また、祭神が女性なので安産の神としても知られ、子女出産の後、必ず参詣して子の成長を祈願したものであり、収穫の秋には村民こぞって賑やかに祭礼が行われてきた。
毎年、10月の第3土曜日、日曜日には高石神社のお祭りが行われます。また2年前からは、高石神社の祭礼と町民が一緒になって楽しめるように、「本中山六七丁目秋祭り」として町内の一部の道路を通行止めにし歩行者天国として、いろいろな催しを実施、出店、フリーマーケット等を行っています。